「原爆まぐろ」
8月になると、6日が広島、9日が長崎と、原爆の恐ろしさと悲惨さを改めて感じます。そして、15日の終戦。
福島第一原発の事故もいまだに収束の目途が立たず、放射性物質を含んだ汚染水が海に漏れ出しているようです。
昭和29年(1954)年3月15日 築地では大変な事が起こっておりました。
第5福竜丸 昭和29年12月撮影
(朝日新聞社「朝日クロニクル 20世紀 第5巻」より)
昭和29年3月1日に南太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で、マーシャル諸島の島民をはじめ、日本の船舶を含む680隻もの漁船や貨物船も「死の灰」を浴びました。
焼津港を母港とするマグロ漁船「第5福竜丸」(乗組員23名)もその中で被爆しました。
操業区域が実験場の海域であったので、アメリカによる拿捕をを恐れ、死の灰を浴びながら、14日に焼津港へ帰港しました。
翌15日には、築地にそのマグロやヨシキリザメが出荷されていた事が判明。
セリに掛かりましたが暴落し、築地は放射能パニックになったそうです。
マグロの放射能検査 (京橋図書館資料より)
ガイガーカウンターで放射能を計測しましたが、数値は高くマグロは暴落。
また、19日には買い手が付かず、セリは成立しませんでした。
カツオにも風評被害が出廻り、カツオも計測したそうです。
近海カツオの放射能検査 (京橋図書館資料より)
当然、全国的に放射能パニックも起こり、他の「魚」も魚食離れになり、汚染されたマグロを市場内に埋める事になったそうです。
当時は「放射能」に対しての知識もなく「臭いものに蓋」的な処理が行われました。
築地市場正門脇の空き地に3メートルほどの穴を掘り、大量のマグロを埋めたそうですが、大江戸線の工事の時には、埋めたとされた地点からは、放射能が検知されなかったそうです。
当時の事を知る関係者も少なくなっていますが、豊洲移転で再整備される前にちゃんと確かめておいた方が良いと思います。(本当は分かっているかも?)
「第5福竜丸」はその後、紆余曲折を経て、夢の島公園で永久保存されています。
築地市場正門のすぐそばに、都が設置したプレートも残ります。
2011年に起こった福島第一原発事故で、再び放射能汚染の恐怖が「魚」の流通の障害にもなり、今でもその被害は続いているようです。
築地で生まれ育った身としては、もう少しこの事件について詳しく知っていなければならないと思いますし、原子力と言うすごいパワーを持つエネルギーと裏腹にある「放射線の恐ろしさ」も認識しておかなければなりません。
「食」という観点からも「放射能」を考えさせられる「原爆の日」です。
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