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2013年8月13日 (火)

「築南橋」と「門跡橋」 その2

先日、門跡橋の項で、「築南橋」と「門跡橋」の竣工日の事が気になり、少し調べてみました。

Photo

竣工時、昭和3年(1928)の築南橋の高爛。

銘板には「築南橋」と書いてあります。

土木学会の土木図書館デジタルアーカイブスによると、「築南橋」は、

Photo_2

工事中の「築南橋

橋名: 築南橋 ルビ: 開通年月日: 1928-7 橋長(m): 24.7 幅員(m): 27 形式: RCラーメン橋

l=12 n=2 下部工: 特記事項: 場所: 東京都 中央区 河川名: 築地川南支流 出典:

復興事務局 「帝都復興事業誌 土木編」 東京

Photo_3

東京市の「築南橋」の竣工時の写真。

昭和3年(1928)7月となっている


一方「門跡橋」は

橋名: 門跡橋 ルビ: もんぜき 開通年月日: 1929-10 橋長(m): 24.7 幅員(m): 27 形式: RC

ラーメン橋 n=2 下部工: 特記事項: これ迄は木橋 場所: 東京都 中央区 河川名: 築地川

南支川 出典: 復興事務局 「帝都復興事  ←ここまでしか書いていない。

同じ橋なのに、橋梁名の変更については一切触れていませんが、「門跡橋」

の特記事項には、「これ迄は木橋」とだけ触れています。

東京市の復興事業の対象となった当時の建築物は、竣工時の写真や、絵葉

書などが残っていますが「門跡橋」のタイトルの写真は一切ありません。

やはり、地元の古老の話と一致して来ます。

竣工日が1年3か月ずれている所で前出の「佃政の親分」こと「金子政吉」の東

京市への名称変更の働きかけがあったということだったのでしょう。

「親分」と言っても、今の感覚とは少し違う受け止められ方だったのでしょうか?

小生にも分かりませんが、実際、橋名が変わったことで、地元に「親しまれる

名前」になった事だけは確かです。

「門跡」と言う名称は、地元「本願寺」の「愛称」の様な物で、親しまれていた呼

び名であった事は確かでしょう。

実際、今でも「本願寺」を「門跡さん」と呼ぶ人もいますし、「本願寺」の鳶の頭

(かしら)の屋号も「門跡」と名乗っています。

36

 築南橋 (京橋図書館資料より)

こちらの撮影は昭和3年(1928)6月となっていますが、東京市の資料は「公

文書」なので7月が正式な竣工日だと思われます。

「金子政吉」とはこんな人でした。

Kaneko_tsukumasa

「橋」の名称ひとつにも、興味深い事実があって、地元についての勉強にもな

ります。色々な人がいて、今の町がある。語り継ぐ事もある意味、大事なこと

かもしれません。

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