もうすぐ「両国、川開き」
両国の川開きとしての花火の打ち上げは、江戸期の享保18年(1733)に幕府の許可を取って始まりました。
明暦の大火後、万治2年(1659)に架けられた両国橋の両側に火除け地として広小路が設けられ、仮設の青物市場や見世物小屋、店舗などができ、多くの人が集まり、一日に3000両の金が動くと言われ、大変な賑わいだったそうです。
「東都 両国ばし 夏景色」
「玉屋!」「鍵屋!」と掛け声がかかりますが、玉屋は鍵屋から独立した花火師で、天保14年(1843)に将軍の日光社参の前日に失火で町内を焼いてしまった為に、一代で家名断絶になってしまったそうです。
以後170年も経っているのに、いまだに「た~まや~!」と掛け声が掛かるのも面白い物です。「か~ぎや~!」とは言いづらいのかもしれません。
「名所 江戸百景」 歌川広重 (wikipediaより)
鍵屋は今も現役で最新の技術で花火を打ち上げています。
その両国の花火も、一時は水質汚染や環境悪化などにより、昭和36年(1961)から早慶レガッタと共に、途絶えた時期がありましたが、昭和53年(1978)より復活しました。
復活の初年に今戸で見ましたが、近くに上がる大輪の花火は鮮やかで、おなかに響く素晴らしいものでした。まだ、桜橋が架かる前の事でしたので、今よりはよく見えました。
もともと「川開き」は陰暦の5月28日に行われ、川で納涼の始まりを祝うというものですが、川施餓鬼と言う水難者の供養や、疫病退散の目的の「水神祭」も将軍吉宗が享保17年(最初の花火の前年)に催したそうです。
この日から3ヶ月間、納涼の川遊びの期間となります。
日本各地でも同様の「川開き」の行事が行なわれるようです。
子供たちが夏休みに入り、「日本の夏!」が本格的に始まります。
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