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2013年7月27日 (土)

「晴海埠頭」と「豊洲」

晴海は、晴海大橋が架かり、景色が一変しています。

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以前にあった「ホテル浦島」の裏側から晴海大橋と豊洲方面を臨む。

今は、公園として整備されておりました。

この場所は、晴海埠頭の一番北東側で、旧ソ連の客船や、北朝鮮の貨物船などが停泊していた場所でした。

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旧「I H I] 石川島播磨のドック方面を臨む。

今、昔の名残りがあるのは、「小野田セメント」のプラントの建物があるくらいです。

このあたりには月島警察署が引っ越してくるそうです。

対岸は、「ゆりかもめ」が開通して変貌著しい「豊洲」です。

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豊洲キャンプ場が開設されて賑わっているようです。

豊洲の一番南西側は、以前「東京ガス」の工場があり、跡地が「築地市場」の移転先になっている場所です。

第二次世界大戦中は、化学工場だったので、土壌汚染で問題になっているのも納得が行きます。

戦後は、都市ガス製造に使う石炭の輸送で港が整備され、船から荷下ろしがあると、洗濯物が干せないくらい石炭の黒い細かい粉塵が晴海側に飛んできていました。網戸もすぐに真黒になっていました。

今、このように綺麗に整備されているのを見ると、昔の事は微塵も感じられません。

「晴海」というと、昔は「東京モーターショー」が開催され、開催中は晴海通りがいつも大渋滞でした。

南極観測船「宗谷」、「ふじ」、「しらせ」の母港になっていた事でも知られていますが、小生の子供の頃には、旅立つ客船から紙の「カラーテープ」が投げられ、別れの定番の「儀式」が行われていました。

岸壁を離れて行く船とそれを見送る人との別れのセレモニーでしたが、両者をつなぐ紙テープか切れる瞬間が、何とも言えない気分だったのを思い出しました。

今でも見る事が出来るのでしょうか?

東京都の貨物線も亀戸方面から豊洲経由で繋がっており、いつも貨車が沢山止まっておりました。

今も豊洲と晴海を繋ぐ貨物線の鉄橋が残っています。

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秋のオリンピック開催都市決定により、日本が選ばれれば、益々変貌して行く事でしょう。

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