「十返舎一九の墓所」 東陽院
元々、東陽院は浅草永住町(今の台東区元浅草あたり)にありましたが、震災後の昭和五年(1930)に移転して来ました。
清澄通りに面した、門の脇に十返舎一九の「碑」が建っております。
墓自体も移転して来ているようですが、公開はされていないようです。
この「墓」についての中央区の説明書きです。
十返舎一九は本姓を重田といい、明和2年(1765)駿河(静岡市)に生まれた。その後、江戸に出て、日本橋の出版業者・蔦屋重三郎付の作家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。なかでも、「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢神宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、一九の代表作となった。
天保2年(1832)に没し、浅草永住町の東陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移された。
墓石には次の辞世が刻んである。
此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら
墓は、句の歴史や文化に関わりの深いものとして、中央区民文化財に登録されている。(中央区教育委員会)
境内には、「防火 まなぶ不動明王尊」があり、近くのマンション火災で、「フラッシュオーバー現象」で殉職された、臨港消防署の「佐藤 学」指令の功績を称えた不動尊像だそうです。
近くには、住吉神社の「お旅所」もあります。本大祭になると、御本社の「八角神輿」がここで一泊されます。
この周辺はまだ長屋の面影が少し残っていますが、以前、隅田川に面した「臨港消防署」があった周辺から晴海にかけて「環状2号線」の工事が始まり、「東陽院」のすぐ横を高架で通ります。
これから、この辺も景色が激変して行く事でしょう。
「東陽院」はチョット隠れた名所です。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「水無月」(2015.06.05)
- 「いよいよ、つきじ獅子祭」(2015.05.31)
- 「文字の面白さ」(2015.05.28)
- 「京都のエスカレーター」(2015.05.09)
- 「福徳神社」の思い出(2015.03.23)
「浅草あたり」カテゴリの記事
- 浅草「木馬館」(2014.05.26)
- 「大提燈」に思う事(2013.11.19)
- 神様のデパート 「石濱神社」(2013.08.02)
- 「十返舎一九の墓所」 東陽院(2013.07.29)
- 「今戸神社」(2013.07.28)
「昔のこと」カテゴリの記事
- 「半世紀前の小田原町」(2014.10.21)
- 「オリンピックから50年」(2014.10.10)
- 市場の「遊技場」(2014.04.24)
- 「築地精養軒」(2013.10.31)
- 「京橋区の古地図」(2013.10.26)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント