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2013年7月29日 (月)

「十返舎一九の墓所」 東陽院

勝どきの新島橋のたもとに、「真圓山 東陽院」と言う日蓮宗の寺院があります。

ここには江戸末期、「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九の墓所があります。

1307_019_2

元々、東陽院は浅草永住町(今の台東区元浅草あたり)にありましたが、震災後の昭和五年(1930)に移転して来ました。

清澄通りに面した、門の脇に十返舎一九の「碑」が建っております。

1307_018_2

墓自体も移転して来ているようですが、公開はされていないようです。

この「墓」についての中央区の説明書きです。

十返舎一九は本姓を重田といい、明和2年(1765)駿河(静岡市)に生まれた。その後、江戸に出て、日本橋の出版業者・蔦屋重三郎付の作家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。なかでも、「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢神宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、一九の代表作となった。
天保2年(1832)に没し、浅草永住町の東陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移された。
墓石には次の辞世が刻んである。

  此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら

墓は、句の歴史や文化に関わりの深いものとして、中央区民文化財に登録されている。(中央区教育委員会)

境内には、「防火  まなぶ不動明王尊」があり、近くのマンション火災で、「フラッシュオーバー現象」で殉職された、臨港消防署の「佐藤 学」指令の功績を称えた不動尊像だそうです。

近くには、住吉神社の「お旅所」もあります。本大祭になると、御本社の「八角神輿」がここで一泊されます。

 この周辺はまだ長屋の面影が少し残っていますが、以前、隅田川に面した「臨港消防署」があった周辺から晴海にかけて「環状2号線」の工事が始まり、「東陽院」のすぐ横を高架で通ります。

これから、この辺も景色が激変して行く事でしょう。

「東陽院」はチョット隠れた名所です。

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