館山の「遠泳」
築地小学校と京橋築地小学校の卒業生でしたらみんな体験していますが、夏休みに「臨海学校」があり、千葉の館山で「遠泳」をしました。
(京橋図書館資料より、旧築地小学校)
形は少し変わりましたが、今でも続いている伝統の行事です。
当時は「中央区立館山学園」という宿泊施設が「大賀」と言う所にあって、館山での遠泳の第一回は昭和32年生まれの人たちからだったそうです。
それまでの「遠泳」は静岡の宇佐美で行なわれていたそうで、半世紀以上の歴史がある行事です。
築地小学校90年 記念誌より
小生の頃には、高速道路も無く、館山までバスで6時間くらい掛かりました。
一度だけ川崎から浜金谷まで、バスごとフェリーに乗って行った事もありました。
当時、館山の海は「夏休みの典型」のような場所で、青い海と白い砂があって、「遠くまで来た」という感じがしました。(砂はあまり白くはありませんが)
学園のすぐ後ろには、海自のヘリコプター基地があり、時々轟音を立てて「ヘリコプター」が離着陸をしていました。
「遠泳」は、2泊3日の内の中日(なかび)に行なわれますが、泳力によってグループ分けされており、皆、黄色い木綿のスイムキャップに赤い毛糸のボンボリを頭に縫い付けてかぶっていました。
泳げない子の「岡組」もありました。
白い木綿の「命綱」も必需品で、これをきちんと巻いておかないと大変なので「先生」の点検がありました。杓子(しゃもじ)に自分の名前を書いて、泳いでいる間には砂浜に立てておいて、迷子札代わりにしていました。
泳げる児童は1時間くらい泳ぎ、その間、泳ぎながら先生に「氷砂糖」を口に入れてもらいます。
これがとても美味しく「館山」というと「氷砂糖」とも言えるほど印象が強かったです。今の子も同じでしょう。
先生たちは伴泳をする係と、何艘かの手漕ぎの小舟の係があって、校長は先頭の舟に乗って、全体に掛け声をかけていました。
今では考えられないほど、少ない職員だけで開催されいました。
泳ぎ終わると、まず杓子を倒し、「お汁粉」が出ました。これがまたおいしく、体を温めてくれました。
小生はもらっていませんが、完泳するとメダルがもらえて、泳ぎ切った子たちは皆誇らしい顔でした。
今も変わらず「館山」での遠泳は続いていますが、「館山学園」が老朽化の為閉鎖されてからは、民間の宿泊施設を使い、泳ぐ場所も「北条海岸」に変っております。
現在では先生は勿論ですが、船外機付きの漁船も出て、PTA、ボランティア等多くの大人が伴泳して、子供の安全を確保しています。
京橋築地小の遠泳は、5年と6年の二回ありますので、5年の時はダメでも、6年でリベンジできるので、皆一生懸命練習に励みます。
小生も昨年まで、伴泳のお手伝いをしていました。
1時間組、30分組、15分組に分けて行なわれ、、どの子たちも最初は少し不安な顔をしていますが、泳ぎ切った後の「自信に満ちた顔」を見ると、自分の子で無くても「その顔」が見たくて、手伝っていました。
皆、ひと回り「大人」になったような「顔」をします。
この「夏の行事」は、先人たちの「子供を思う心」と、何より中央区をはじめとする多くの関係者の協力によって今まで無事故で続いております。
小学生で1時間も泳ぐ「遠泳」を実施している学校は、もうあまり無いでしょうが、伝統ある「遠泳」をこれからも無事故で続けていってもらいたいと思います。
« 「十返舎一九の墓所」 東陽院 | トップページ | 「班登校」 はんとうこう »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「水無月」(2015.06.05)
- 「いよいよ、つきじ獅子祭」(2015.05.31)
- 「文字の面白さ」(2015.05.28)
- 「京都のエスカレーター」(2015.05.09)
- 「福徳神社」の思い出(2015.03.23)
「季節感」カテゴリの記事
- 「立春」(2015.02.04)
- 「酉の市2014」(2014.11.11)
- 「秋の空」(2014.09.18)
- 「秋の山野草」(2014.09.14)
- 「局地的短時間豪雨」(2014.09.10)
「昔の築地」カテゴリの記事
- 「東京劇場」 (東劇)(2013.09.22)
- 「かき船」 その2(2013.09.14)
- 「地下鉄 日比谷線」(2013.09.09)
- 「都電36系統」(2013.09.08)
- 「関東大震災」 から90年(2013.09.01)
「地元の行事」カテゴリの記事
- 「謹賀新年 2015」(2015.01.01)
- 「二の酉」(2014.11.22)
- 「防災訓練」(2014.09.22)
- 地元の「敬老大会」(2014.09.08)
- 「町会行事」(2014.09.06)
「築地の行事」カテゴリの記事
- 「京橋築地小学校」(2014.04.05)
- 「酉の市」(2013.11.10)
- 「庖丁式」 ほうちょうしき(2013.11.03)
- 「本願寺の盆踊り」(2013.08.01)
- 「班登校」 はんとうこう(2013.07.31)
「小田原町」カテゴリの記事
- 「40数年前の築地」(2014.08.21)
- 「波除さんのお神酒」(2014.06.25)
- 「居留地中通り?」についての独り言(2014.06.02)
- 波除さんの「鯉のぼり」(2014.05.04)
- 「勝鬨橋4態」(2014.05.01)
「昔のこと」カテゴリの記事
- 「半世紀前の小田原町」(2014.10.21)
- 「オリンピックから50年」(2014.10.10)
- 市場の「遊技場」(2014.04.24)
- 「築地精養軒」(2013.10.31)
- 「京橋区の古地図」(2013.10.26)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
館山の遠泳、やりました。
中高でも伊豆で遠泳をしましたが、その礎となったのが、千葉での遠泳でした。
海上自衛隊の基地が近くにあり、ヘリが飛んでいたのを覚えています。
築小では臨海学校のほかに、小2の頃だったと思いますが、柏学園、そして5年か6年のころの小諸学園がありました。
ここのところは、中央区立の小学校共通かもしれませんが…
校庭の非常階段、懐かしい写真ですね。
非常階段をあがって右奥が図工室。で右に曲がると音楽室、そのまままっすぐいくと1年1組、その奥の角にはトイレがありました。
写真の奥のほうにプールがみえます。
夏休みはプール三昧でしたね。
黒線3本めざしていましたが、たしか2本で終わったような気がします。
館山での遠泳の際には帽子の頭にぼんぼんをつけていたような…
以上コメントでした。
投稿: あさかぜ | 2013年8月30日 (金) 21時45分
あさかぜさん、ありがとうございます。
よく、校舎のレイアウトを覚えていらっしゃいますね。
プールと言うと、保健の堀内先生が今も思い出されます。
投稿: 築地 魚がし 小田原町 | 2013年8月31日 (土) 01時22分
図工室は非常階段を上がって左突き当りでした。訂正します(~_~;)
投稿: あさかぜ | 2013年8月31日 (土) 21時29分
懐かしく読ませていただきました。
氷砂糖、お汁粉美味しかった記憶がよみがえります。
遠泳で長時間水の中にいて陸に上がってくると平行感覚が狂っていて皆よろよろしたり転んだりした事も思い出しました。堀内先生をご存じだと同年代だとおまわれます。
投稿: Tukinami | 2013年9月24日 (火) 16時30分
Tukinamiさま、コメントありがとうございます。
遠泳はつらさと良い思い出が残っています。
堀内先生は、ちょっと怖かったけれど、今思うと懐かしいおばあちゃん先生でしたね。
投稿: 築地 魚がし 小田原町 | 2013年9月27日 (金) 00時11分