「魚河岸水神社」のおまつり
水神社のお祭りは毎月5日、正月、五月、九月の比較的大きいお祭りと他の毎月、遥拝所で行われています。
大幟と高張提燈を立て、遥拝所には奉納品がずらりと並びます。
今月は、5日が休市日でしたので、6日に行われました。
市場が築地へ移転して来てから、大規模な「水神祭」は昭和30年、昭和46年、平成2年の3回しか行なわれておりません。
小生は昭和46年は見ただけで、平成2年と神田神社の祭礼に参加した秋葉原からの神輿渡御を波除の赤半纏で担いだことがあります。
聞く所によりますと、昭和30年のお祭りは、関東大震災で焼失した、加茂能人形山車が復元され、それはそれは煌びやかだったといいます。
魚河岸の景気も良くなっていた頃なので、皆元気よく、水神の大神輿は三原橋のあたりまで暴走してしまったと聞きました。
昭和46年は、大阪万博の翌年で、小生が中学の帰りに魚河岸のお祭りを聞き、見に行った所、誰彼かまわずに飲み物やつまみの物をくれたのを憶えております。
(京橋図書館資料画像より) 市場の岸壁の渡御
加茂能人形山車が水神社の右側に大きな小屋の中に入っていて、「からくり仕掛け」の調整をしていた記憶があります。
一番上の人形が「能面」を付けていたのが、「面」を取った顔になったりしていました。装束の着付けもしていたのを見ました。
平成2年は、昭和天皇の御不礼の翌年で、バブル景気が弾ける前の頃でしたので、加茂能人形山車が黒牛に曳かれたり、大小の神輿が出たり、海幸橋を渡って波除さんの神域に入り、まっすぐ行って7丁目交差点を左折、備前橋を渡り、本願寺の前を通って正門から帰社しました。
小生も赤半纏で担いでおりましたが、土砂降りの雨の中で、担ぎ手からは湯気が立ち昇り、正に「水神」の神輿渡御にふさわしいお祭りでした。
市場で催されたのはこの3回だけですが、豊洲移転を控え、築地で最後の「水神祭」を見てみたいものです。
波除神社と役員一同は、魚河岸会に正式に一緒の祭礼を打診したそうですが、諸般の事情もあり、現実の物になるのかは、まだ分かりません。
しかし、波除神社の神輿と水神の神輿の最初で最後の競演があったら、どんなに素晴らしい築地市場の思い出になるのか計り知れないくらいワクワクするでしょう。
移転が1年延びたので、実現するのでしょうか?楽しみにして待ちたいものです。
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