「築地小学校」
築地周辺の方たちは、みんな「築地小学校」が母校でしょう。
築地7丁目は学区域の関係で、「明石小学校」に通う事になりますが、今、中央区では通う学校も選択できるようになってきています。
現在の京橋築地小学校
昨年の20周年記念横断幕
以前、銀座1丁目にあった「京橋小学校」と、ここ 「築地小学校」が統合して中央区立 「京橋築地小学校」となり、昨年20年が経ちました。
同じ校舎内にある「京橋朝海幼稚園」も同時に「京橋幼稚園」と合併しましたが、名称は「京橋朝海幼稚園」のままです。
開校20周年記念当時の図工の先生の力作。紙製の特製”ターレー”
紙とは思えない程、本当によくできていました。
小生は、父も子供も「築地小」と「京橋築地小」にお世話になりました。
親子3代が通っている家族も、築地ではそう珍しくありません。商人の町なので、代々築地で商売をされている方が多く、親子4代もいらっしゃいます。
子供が入学した時、有難い事に、合併しても「校歌」が変わっておりませんでした。
どこの校歌も地域を謳った歌詞が入っているのですが、そのコアな特徴のある歌詞が、存続させてもらえた理由の一つだったのでしょう。
二番の歌詞に「大船、小舟波を分けて、市場は近く声も賑やか、、、」ですとか、同じく二番後半の「鴎も鳩も来て遊べば、、、」などは、隅田川の鴎と、目の前にある本願寺の鳩との対比が歌詞に入っております。
小学校の「校歌」は子供の頃の原風景に強く結びついているように思えます。
話は変わりますが、先ごろ引退を発表した、サッカーのベッカム選手が「京橋築地小学校」を訪れたのは、もう10年前の事になりますが、その頃の小学生がもう成人前後の年齢です。
月日が経つのは早い物ですが、彼の引退を思うと感慨深い物があります。
その時の京橋築地小学校周辺の大騒ぎとマスコミの取材はたいへんな物でした。
ウチの子供たちが在校していましたので、記念撮影をしてもらって、「赤いバラ」を一輪ずつと「明治アーモンドチョコレート」をお土産に貰って来ました。(イベントスポンサーが明治製菓)
彼の来校前後に、当時の森首相も来校されたのですが、子供たちにその記憶は残っているのでしょうか?
「あいむ総理ぃ、森総理」などとは、よく言っておりました。
「京築小」は小生が通っていた頃からずっと今でも千葉の館山で「遠泳」をしておりますが、これについては別の機会に譲ります。
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