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2013年5月22日 (水)

「鉄道博物館」と「東京市場駅」の車両

大宮の「鉄道博物館」は万世橋の「交通博物館」が移転してできた施設ですが、鉄道車両の実物が数多く整備され、展示してあります。

小生が特に見たい車両も展示してありました。

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昭和を代表する車両が所狭しと展示してあります。

魚がしの「東京市場駅」に出入りしていた実物の機関車と貨車です。

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入れ換えに従事していたDD13の1号機。

小生の知るDD13は後に朱色に塗られた機関車です。この茶色と黄色の彩色は、DD13がデビューした昭和33年から少しの間だけ施されていた色です。

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「とびうお号」(5050列車)の緩急車(車掌の乗る部分がある車)の レムフ10000。

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「東京市場駅」では「とびうお号」が到着すると、まず汐留方に連結されていたこの「レムフ」を一番後方に入れ換えてから、そのまま下り列車に仕立て、それからホームに横付けして、荷を降ろし始めておりました。

時間短縮のため「レムフ」は突放されておりました。

「突放」とは、機関車の力を借りて押し込み、連結器を外し、単独で走りだした貨車を作業員が貨車に付いているブレーキで停止させる入れ換え方法の事です。

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「門」は当時の門司鉄道管理局所属という意味。

福岡の「香椎駅常備」と下に書いてあります。

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当時のこの冷蔵車(冷凍車では無い)は、ドライアイスで冷やすだけの単純な冷蔵設備でしたが、断熱には優れていたようです。しかし、片道だけの非効率な輸送と、塩水による車体の腐食により、国鉄の分割民営化と共に廃車されましたが、解体を免れ、九州の東小倉に保存してあり、「鉄道博物館」の開館に当たり、整備され展示されています。

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模型として鉄道博物館に展示してあった「レサ10000」

子供の頃に、実物を「市場線」で見ていたので、感慨ひとしおでした。

「とびうお号」は、真夜中に「市場駅」に到着すると、「レムフ」の入替後、すぐに荷降ろしをしてから 返空(荷の無い空の状態)の5051列車として、また九州に向けて帰って行きました。

東海道、山陽本線で「とびうお号」を牽引していたのはEF66形電気機関車でした。

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東海道本線の「ブルートレイン」も牽引していた機関車ですが、この機関車は「とびうお号」と「高速コンテナ列車」の為に開発された貨物専用の機関車でした。

100kmで走れる性能を持った機関車は、昭和43年当時、「さくら」などの「ブルートレイン」を牽引していたEF65くらいでしたので、いかに「とびうお号」がお大名列車だったかが窺えます。

当時の鮮魚満載の上り 高速貨A 5050列車について詳しくはコチラ→http://shinano7gou.at.webry.info/201107/article_7.html

当時の空の下り 高速貨A 5051列車について詳しくはコチラ→http://white.ap.teacup.com/dt200a/660.html

それにしても「東京市場駅」がなくなって、線路が取り外されてからもう30年近くも経ってしまっています。

扇形のホームの跡が残るのみです。「昭和は遠くなりにけり」です。

その他にも懐かしい車両が数多く展示してありましたが、また次の機会に書きます。

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コメント

最近になって東京市場駅に関心を持った者ですが、若干の疑問が出てきましたので、もしよろしければ教えてください。

文中に、レムフ突放、折り返し側最後尾に連結とありますが、御存知の通り、レムフは車掌室付きの合造車です。
どのように車掌室側を後ろに持っていかせたのでしょうか。他ブログの東京市場駅構内配線図を見ると、ホームは頭端式で転車台もないようなので、疑問に思った次第です。

また、突放の動力源は、突放時と押込時でそれぞれ何だったのでしょうか。引いてきた機関車が機回しの上でやったのか、時間の関係で遊んでいる他の機関車が手伝ったのか、それとも構内専用で常駐するモーターカーがあったのか。

お忙しいところを恐縮ですが、お答えいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

通行人様、コメントありがとうございます。
ご質問に対して分かる範囲でお答えします。

東京市場駅は、扇型の「魚1番」とよばれる、今も残っている晴海通り寄りの建物側のホームが主な荷下ろし線になっていました。
その次が本線、2番、3番、3番からの枝別れで4番、6番となり、5番は浜離宮側にホームが残っています。4番も当時の建物と小さいホームが残っています。

5050レ(とびうお号)は、編成で運用されていた関係で、汐留に到着するとすぐに市場方にDD13やDE11が連結されて、市場に入線して来て本線に入り、機関車のみを機回しして列車の汐留方に連結します。

次に、機関車が最後尾のレムフだけを汐留方に牽引して、駅構内の中ほどにあるシングルクロスを利用して魚1番の最後尾になるよう、突放していました。

車掌車は冷蔵室側にもテールランプが付いているので、貨車の「ワフ」と同じように方向を変えなくても運用で来ましたので、問題はありません。

それから、本線の列車を同じ様に汐留方に引き上げて、魚1番に押し込みレムフとも連結して5051レの編成を仕立ててから、荷降ろしを始めていました。

元々、東京市場駅は、扱いが多かったので、黒貨車や、レムの積車扱いの時にはそれぞれの荷下ろしホームに横付けした後、空車を時刻通りに汐留に持って帰っていましたが、5050レのみは、すぐに返空の5051レで返さなければならないので、機関車は荷下ろしが済むまで、構内に待機していて、終わるとあまりダイヤと関係なく、汐留に持って帰っていたようです。朝はもうここにレサの編成はいませんでした。

ですから、子供の頃に昼間ここでレムフを見かける事は無く、昭和44年か45年頃に「東鱗1号」で、レサ5000に混じっているレサ10000を初めて見たのがこの貨車との初めての出会いでした。連結器がカッコよく見えた印象があります。

東京市場駅は、当時、魚を入れて来た木箱や樽の残骸や、出始めた発泡スチロールのゴミなどで、すぐに線路が散らかっている状態でしたので、2軸の車掌車や、控え車、モーターカーなどは無い方がいいので、貨車しか見た事がありませんでした。
いつも機関車はその都度汐留から来ていましたので、複数はいません。

子供の遊び場でもあったので、列車が来る前には駅員が必ず線路の点検をしていました。

土曜の午後や日曜は入れ換えも無く、木製冷蔵車独特の乾いた「くさい臭い」がしていて、貨車の形式を覚えたりしていました。

もう、駅が無くなってから30年くらい経ちますし、あと2~3年後には豊洲に移転するので、こんな思い出はあとかたも無くなってしまう寂しさもあります。

もうこれ一つで一記事にしてもいいのではと思うほど、なんとも丁寧かつ詳細にご回答頂きまして、恐れいります。
大変良くわかりました。ありがとうございます。

ここのほか、東京都港湾局専用線や芝浦線、日の出線など、かつて賑わった東京湾沿岸の貨物路線は、東京貨タを北限にもうほとんどありませんし、廃線跡も、沿線開発での高層マンション建設等により、日に日に消えていっています。
そのような中で東京市場駅のホームは、狭隘な市場面積により、運用しながらの再整備が不可能であったことが逆に幸いして、これだけ大規模であるにもかかわらず、今日まできれいに遺産が残った稀有な例だと思います。

しかし、「ブツ」だけで当時の状況を想像できるほど、人は利口ではありません。かといって、興味をもった誰でもが気軽に入れるような場所でもなく・・・(今ですら、要らぬ疑いをかけられないためにも、建屋内の商品がおいてある場所には立ち入るのを躊躇します。ターレーも、通行人の安全などまるで気にしていませんし・・・)
そのような中で、ほんとうに貴重なお話だと思います。

豊洲移転後は、おそらく発掘調査が行われるでしょう。埋設場所がわからないとされる原爆マグロの調査もされるでしょうし、線路を剥がさず、応急的に線路上にアスファルトを敷いただけの場所は、線路が露わにされてニュースになるかもしれません。
連休明けに解体が始まるという旭冷蔵さんの倉庫を写真に収めるなどしながら、やがて訪れる築地の閉場を、寂しくも楽しみに待ちたいと思います。

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