駅長からの 「恩賜たばこ」
「恩賜たばこ」です。それも箱入りで。
知り合いだった当時の中村駅長さんは、汐留駅に来る前、国鉄の列車課(鉄道ダイヤを作る部署)の課長をされていた方でしたので、「お召列車」(天皇が公務で出掛けられる時にご乗車になる列車)にも添乗された事がある人物でした。
昭和のお召列車 ( Wikipediaより)
「お召列車」の仕事が終わると、後で宮内庁からその労をねぎらって、「たばこ」を戴いたそうです。警備の警察関係者にも配られていたようです。
当時、もう駅長だった彼が、これをどのように入手されたかは分かりませんが、たばこを吸わない方だったと思いますので、愛煙家の小生に戴けたのだと思います。
民営化になる前、たばこは「JT」の前身の「日本専売公社」が作っておりましたが、フタ止めの証紙には「日本たばこ産業株式会社」”JTの事”の文字が読めます。
日本国有鉄道民営化(1987)より日本専売公社民営化(1985)の方が早かったのですね。
10本入りの箱で、白い防湿紙とアルミホイルで包んであります。
金の二本線と中央に「菊」の御紋章が印刷されています。
短いフィルター付きですが、当時吸った感想は、「ハイライト」のような少し辛く感じる味だったと記憶しています。
「たばこ」が戴けた別の話としては、当時皇居に沢山の清掃奉仕団が地方から来ていたそうで、掃除が終わると、明石町の「塩瀬総本家」の「菊の御紋」の焼印が押された「おまんじゅう」と「恩賜たばこ」が配られていたと聞きました。
お菓子は「干菓子」という説もあるようです。
たばこを吸う人の肩身が狭い昨今ですが、当時はお土産としても「菊の御紋」が入った「たばこ」は喜ばれた事でしょう。なにしろ、買えない物なのですから。
友人の父が一本だけ戴いた「恩賜たばこ」をわざわざ正装して、自宅の座敷に正座して、旨そうに吸っていたという話を聞いた事があります。
昭和天皇は当時の年配の方には特別な存在だったのでしょう。
多分、今ではたばこは下賜されていないと思います。(2006年に廃止されたということです。)
箱に残っていたのは数本でしたが、もう吸えませんので、昭和の記念として、また第三十三代汐留駅、中村駅長の思い出として保存します。
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コメント
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初めまして こんばんは
恐れ入りますが、二番目の御写真を転載したいのですが許可して頂けはないでしょうか
突然の事で申し訳ありません
投稿: 金澤 | 2015年4月 6日 (月) 23時19分
金澤さま、お返事が遅れまして申し訳ありません。
写真は営利目的のものでなければお使いいただいても結構です。
もし、WEB等に掲載されるのでしたら、掲載先をお伝えくだされば、尚ありがたいです。
投稿: 築地 魚がし 小田原町 | 2015年4月14日 (火) 11時55分