「二号地」
1883年(明治16年)~1896年(明治29年)に航路の浚渫土を用いて埋立地が造成されました。
工事の終わった順番に
月島1号地:月島全域
月島2号地:勝どき1~4丁目
月島3号地:勝どき5~6丁目
月島4号地:晴海
新佃もこの時の埋め立てで出来上がりました。
佃島周辺は 江戸期より隅田川の重要な水路でしたが、そこに砂がたまり、舟の運航にも支障をきたしていたということで、この周辺を浚渫してその土を使って土地が産み出されました。
今では「二号地」のみが祭礼の時の区割りとして呼び名が残ります。
ですから、住吉神社の氏子町は明治以降に急激に増えたことになります。
もともとの、月島の地名の由来は東京湾内の三田あたりにあった「月の岬」と呼ばれた月見の名所からとられた説もあるという事です。
明治の時代背景として富国強兵、殖産興国の政策があった為に、石川島造船所をはじめとする重工業や鉄鋼関係の工場が沢山できました。
当然、下請けの町工場やそこで働く人たちの家族も住民となり、明治末期頃には西仲通り商店街の原型になる商店の集まりもできあがって行きました。
今では、その工場の跡地が高層マンションになっている所が散見されます。
埋め立てられてから百数十年ですが、土地の名前に風情や時代背景を感じられます。
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