「鬼子母神」への「月参り」
物ごころが付いた頃から、市川の「鬼子母神」(きしもじん)へ祖母に連れられ「月詣り」をしておりました。
入谷や都電の停留所名にもなっている雑司ヶ谷の「鬼子母神」は東京の方には有名ですが、市川の方は京成線に乗って小旅行のような感じでした。
「正中山、法華経寺」という寺で、山号をとって「中山さん」と呼んでおりました。
電車を降りると、参道は昔ながらの門前町の佇まいでした。
暫く参道を歩き「鬼子母神堂」に着くと、お札に子供の名前を書いていただき、それを持って「鬼子母神堂」でお経をあげて頂きました。
(法華経寺のHPより 鬼子母神堂)
お坊さんが筆で名前を書いていくのを見ているのが好きでした。
「お堂」は金庫の様な観音開きの入り口をくぐり、階段を上がると狭く小さな部屋があり、座って待っていると、お坊さんが来て「お経」を読んでくれます。
薄暗い「お堂」の中で、子供心に清浄な空気を感じておりました。
「鬼子母神」は安産と子供を守護するそうですがその縁起には面白いお話があります。
もともと「鬼子母神」は女神で多くの子がおりましたが、人の子をとっては食べていたそうです。
そこで、お釈迦様が「鬼子母神」の子を隠した所、怒り狂ってお釈迦さまに「助け」を懇願した所、「自分の子を奪われた人の悲しみを己も知りなさい」と諭され、心を入れ替えて、安産と子育ての神として今日に至っているそうです。
「鬼子母神」には「鬼」の字の一角目の「ノ」がありません。それは、改心したので「鬼」のトレードマークである「角」が無くなったという事なんだそうです。
また、ザクロの印(しるし)は食べていた子供の味だそうで、転じてこれを「鬼子母神」のマークとしたそうなので、祖母はザクロを食べませんでした。
「鬼子母神」のお参りが済むと、石のお地蔵さんをタワシで洗い、祖師堂をお参りして帰途に着きます。
帰りの道すがら、参道の茶店で味噌田楽や団子を買ってもらったりして、小旅行が終わります。
去年、久しぶりにお参りに行って来ましたが、自分の中の「往時」の賑わいはもう既に無く少々、寂しさを感じて来ましたが、境内はきちんと綺麗になっており、当時とはまた違った清浄感がありました。
今は、観光目的でしかお寺に行かなくなってしまいましたが、小市民の信仰心が普通に世の中にあった時代が懐かしく思われます。齢を重ねきたせいなのでしょうか?
歩くにはいい季節になりました。また色々な寺社を訪ねてみたいものです。
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