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2013年4月16日 (火)

「川の街」 築地の「かき船」

昭和30年代前半まで築地は川の街でした。

M0002112011_convert_20130416121432  (中央区立京橋図書館資料より)

「かき船」の停泊している所は今の首都高外回り、銀座ランプの出口の所。

左の建物は松竹セントラル、奥のビルは昔の東劇。

東劇の右の橋は晴海通りに架かっている万年橋。昭和30年前後と思われる。

築地川は今では首都高速環状線が走っています。

昭和39年の東京オリンピック開催が決まり、戦後の復興と相まって、空前の建築ラッシュとなり、それまでの下町の川は埋め立てられ、高速道路になってゆきました。

物ごころがついた頃にはもう「かき船」も銀座との境の「築地川」もありませんでした。真新しい高速道路が開通しておりました。

「かき船」とは江戸後期に、もう養殖を行なっていた広島の業者が、大消費地の大阪へ「かき」を運ぶための運搬船のことでしたが、次第にその船でお客に直に「かき」を売ったり、料理を出したりして、明治から第二次大戦の前まで、特に大阪ではやっていた様です。

屋形船とは違い、停泊したままで飲食を提供していたようです。

 M0002111011 (中央区立京橋図書館資料より)

船に「ひろしま」と書いてあるが、これは船名ではなく、屋号だと思われる。

当時、新橋の花柳界や築地の料亭からも近かったので、この場所で営業していたのでしょう。当然、築地の市場には「かき」の入荷はあった訳なので、さまざまなメニューが出てきた事でしょう。

夜になると、川面に船の灯りが映ってさぞ賑やかで綺麗だったのでしょうね。

小田原町にも本願寺裏の、築地川東支川に「かき船」があったと祖母から聞いていましたが、築地川でのこの写真を見たのは小生も初めてでした。

新し物好きな銀座や築地の旦那衆もこぞって出掛けていたのでしょう。

今も東京にあったら行きたいものです。

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