築地の「橋」
築地というと「西本願寺」の再興に当たり、佃島の漁師たちの手により埋め立てられ、築かれた町という事は、今ではとても有名な話です。埋め立てられてから354年経ちました。
(中央区立京橋図書館資料画像より)
関東大震災前の築地本願寺。
本堂は今の門跡通り(場外市場)の方を向いていました。
江戸は海運で繁栄を誇った町でしたので、運河がたいへん多く、埋め立てられる前の築地は、「橋」が沢山架かっておりました。
小生が知っている、もう無い「橋」も数えると本当に「水の街」という事が分かります。
旧 小田原町から隅田川沿いに時計まわりに数えると、
① 隅田川に架かる「勝どき橋」(かちどきばし)
② 波除神社の所の「海幸橋」(かいこうばし)
③ 銀座に向かって、落橋工事中の「小田原橋」(おだわらばし)
④ 新大橋通りの「市場橋」(いちばばし)
⑤ 西に向かって、浜離宮の入り口の「大手門橋」(おおてもんばし)
⑥ 旧、市場引き込み線跡の「新尾張橋」(しんおわりばし)
⑦ 銀座中学校のそばの「千代橋」(せんだいばし)
⑧ 新橋演舞場の所の「采女橋」(うねめばし)
⑨ 東劇前で晴海通りの「万年橋」(まんねんばし)
⑩ 松屋通りで、高速道路上の「祝橋」(いわいばし)
⑪ 築地警察署前の「亀井橋」(かめいばし)
⑫ 中央区役所前の三叉橋で有名な「三吉橋」(みよしばし)
⑬ 平成通りの、昔都電が走っていた「築地橋」(つきじばし)
⑭ 新大橋通りの「入船橋」(いりふねばし)
⑮ 東支川に入り、聖路加病院と築地駅の間の「暁橋」(あかつきばし)
⑯ 「暁橋」すぐ南側の「「堺橋」(さかいばし)
⑰ 本願寺東側の「備前橋」(びぜんばし)
⑱ 晴海通りの小田原交番がある「門跡橋」(もんぜきばし)
⑲ 日刊スポーツ印刷社と聖路加病院の間の「南明橋」(なんめいばし)
⑳ 明石町「治作」と築地七丁目の間の「明石橋」(あかしばし)
おまけは、市場内の水神様の横と場外市場の間に架かっていた「起生橋」(きせいばし)があったそうです。 同じ築地の中の「橋」なので番外。 (これは知りませんでした。)
今の「築地}という町が他町と20もの「橋」でつながっていたのですね。改めて数えると我ながら驚きました。
築地の「橋」にまつわるエピソードがあります。
それは、一筆書きで七つの橋を渡って帰ると子供が丈夫に育つ という話です。
「七、五、三」は割れないという事で日本人はお目出たい数字としてよく使いますね。
今から半世紀以上も前、祖母が夜、なかなか寝つかない「孫」(赤ん坊の小生)をおぶって、これをやってくれたという話を憶えております。
小生は勝手に「七橋渡り」(しちきょうわたり)と呼んでおりますが、地図で見ると本当にこれができるんです。
迷信の様なこんな話を実体験できた事を感謝していますが、きっと他にも「橋」にまつわる伝説が色々とあるのでしょう。 知っていらっしゃる方がおりましたら是非、御教示下さい。
「築地」の「橋」の「話」でした。
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