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2013年4月25日 (木)

「のれん」の衣替え

のれんの歴史は平安末期にまで遡りますが、これは間仕切りの様な物だったそうです。

また、生地に簡単な「印入れ」をするようになったのは鎌倉時代のようです。

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(たて絽の生成り布地)

文字(屋号)や取扱商品の名前を入れたり、荷印を入れたりして宣伝目的の「のれん」はやはり江戸期になってからでした。

禁忌色は紫で、一般には使えない色でした。

固いイメージの呉服屋などは藍染の「紺色」、菓子屋や薬種問屋などは「白」、水商売では「水色系」、たばこ商は「茶色」、女性と遊ぶような店では「赤っぽい茶色」などそれぞれの商売によって色が決まっておりました。

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(お客様の 紺のれん)

「のれん」の衣替えをするようになったのは大正期以降と思われます。

それはもともと、暑い京都などで部屋を夏のしつらえに変えたりする習慣が今でも行われておりますので、それと同じように旅館や料理屋、寿司屋などではこの習慣を取り入れ「衣替え」をするようになったのだと思われるからです。

夏は白地に黒文字、冬は紺地で白抜きと昭和50年前後まではほとんど決まっておりました。

やはり夏は見た目にも涼しい麻の「白」(実際は生成り)、寒い冬は固い商売をイメージする木綿の「紺」でした。

交換の時期の目安は、夏物は子供の制服と一緒の6月から、冬ものは同じく10月からとなっております。

今でもこのようにされている店は少なくなって来ましたが、見た目にも「のれん」の色を変えるだけで店の雰囲気が変わるので良い習慣だと思います。

「のれん」の種類や、掛け方、扱い方はまたの機会に書かせて頂きます。

そろそろ「夏物」の御準備を!

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