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2013年3月20日 (水)

「東京市場駅」の貨車たち

築地市場には開場以来、国鉄の引き込み線が設置されており、駅名は「東京市場駅」でした。ご承知の通り、ホームの有効長を最大限に使えるように、水産部の所が扇形をしていますね。トラック輸送が台頭する前まで、名実ともに都民の台所を支えていた施設でした。

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(水産部ホームにて) 京橋図書館蔵

水産物ばかりではなく青果物、促成野菜、漬物まで貨車で運ばれておりました。

 色々な鉄道雑誌を見ても「東京市場駅」に触れた記事は、特集記事で見かけたくらいです。当時の写真はあまり紹介されたこともなく、何かの機会に、入線していた貨車を記録したいと思っておりました。

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(場内に時計台があった頃、右隅写真はB6の時計台踏切での入替え風景。1955年前後と思われる) 京橋図書館蔵

 小生の小学校時代、今から40数年前になりますが、築地の市場はとても賑やかで、今と違って、部外者の「立入禁止」は結構厳格だったような気がします。

 軽子(小車を引いて品物を運ぶ人)たちも気性が荒く、怒鳴り合いや喧嘩をしているのを見かけました。特に、木箱を引っ掛ける手鉤(てかぎ)をみんな持っているのですから、趣味で鉄道写真を撮りに来ても、何か入りにくい雰囲気があったのでしょう。

 平日午後や日曜日の「東京市場駅」は人影も少なく、まったりとした時間が流れておりました。今より生臭い市場の探検をしたり、岸壁で遊んだり、三角乗りのチャリンコ悪ガキ隊は引き込み線を追いかけて汐留駅方面にも足を伸ばしておりました。

 昭和43年前後まで今の朝日新聞裏の線路沿いにはまだ、バラックが数件のこっており、そこから学校に来ていたクラスメイトもおりました。

 話が脱線してしまいましたが、これから少しコアな話になります。

 「東京市場駅」は築地市場の中でも一番浜離宮に近い、時計台があった通称、時計台踏切を渡ったすぐ右角にあり、薄い黄緑のプラ板の様なものに、日本国有鉄道、東京市場駅と二行書きで看板が掲げられておりました。すぐ前にヤード燈が一基あり、夜の入替を助けておりました。

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(青果踏切より時計台方面を臨む。左は青果ホーム。右奥にヤード燈が見える) 京橋図書館蔵

 昭和44(1969)~47(1972)年当時、市場には「とびうお号」で有名なレサ10000がすでに入っていましたが、夜中に到着して荷を降ろすと、すぐに帰ってしまうので、編成の列車は見たことがありませんでした。初めて「東鱗1号」用のレサ10000とレサ5000を見たのは、昭和45~46年頃だと思います。

 普段二軸の貨車しかいないのに市場にカッコイイ、デカクて真っ白な奴を発見し、連結器が普通のと違うのに気が付き、これは電車のヤツにも似てるけど何だろう?と思っていました。

よくいたのは、レ12000、レム5000、ツム1000、ワム23000、ワム90000など。たまにいたのは、レ5000、レ6000、レ7000、レム400、ワ10000、ワ12000、レサ5000、レサ10000、一回だけ見たのは、コキ10000。コンテナを積んだ写真がありました。入線試験でもしてたのでしょうか? ワム60000や保線のためのトラ45000もたまにいました。何かの写真で市場にいる白いワム580000も見たことがあります。焼津からマグロを運んでいたのでしょう。

 また、レサは東京市場駅と大阪市場駅のホームのきついカーブの関係で”レキ”にはならずに中途半端な”レサ”のサイズになったんだろうと最近思うようになりました。

 レサの運用についてはコチラhttp://butsuryu.web.fc2.com/sengyo-yusou.html

 築地では、隅田川駅や大阪市場駅のような控車は使っていませんでした。旗振りの入替作業員が何人も突放のブレーキ作業に当たっていた場面を見たことがあります。カーブがきつくてさぞ大変だったと思われます。

 入替え機関車はB6,DD13(茶色と朱色),DE10,DE11の他は知りません。8620やDD12も来たことがあるのでしょうか。

 大宮の鉄道博物館に収蔵されているDD13 1やレムフ10000もそのものズバリを市場で見ていました。 また、市場線廃線時の牽引機はDE10 1553(今も現役)でした。もう30年近くも前の事になってしまっているのですね。

 市場が豊洲へ移転すると、こんな話も砂塵のごとく忘れられてしまうのでしょう。

古いその頃の写真が出て来ましたら、また書きたいと思います。

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