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2013年3月10日 (日)

「東京大空襲」から68年

明日は、東日本大震災から丸2年。しかし今日が昭和20年の東京大空襲の日という事を憶えていたでしょうか? 小生も忘れておりました。

 本所横網町の東京都戦没者慰霊堂でご供養が行われたそうです。小生は戦後世代なので、聞いた話しか知りません。

空襲のあと、隅田川がお湯のように温かかったとか、清澄庭園に逃げた人は保水力の高い木が沢山あったので助かったっとか。

築地では市場の立体駐車場の所が旧海軍の経理学校があり、北には十字架が乗った聖路加病院があったため、連合国側は戦後日本を接収する目的があり、旧小田原町は一部を除き、空襲を免れたそうです。築地1~5丁目は市場と本願寺も含め、大きな被害を受けたようです。

もともと旧小田原町は築地川支川と隅田川に挟まれた立地だった為に、誤爆が少なかったのでしょう。

しかし、そこの住民はそんな事は知りませんから、空襲のたびに右往左往していたそうですが、それはそれは大変だったことでしょう。 当時、今の「銀座キムラヤ」のパン工場が築地7丁目にあり、空襲を受け、近所の人たちが必死で鎮火にあたり、災禍を免れたという話を祖父から聞きました。「キムラヤ」さんはそれを恩義に感じて、少ない物資の中から近隣の方にパンを提供してくれたそうです。

記憶はだんだん風化します。今は当然、東日本大震災の事はみんな憶えていますが、映像の記憶がすべてではありません。メディアでは語られない、コアな証言とかがその土地ならではの災害の備えとなるのではないでしょうか。

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