「魚がし」マーク、、、「丸魚がし」 or 「魚がし丸」
日本橋にまだ、魚がしがあった江戸後期以降からこのマークが使われていたと思われます。
それは、以前成田山に行った時、光明堂という初代本堂脇の、江戸後期奉納の天水桶があり、そこにはまだ「○」の中に「魚」としか書いてありませんでした。
今だったら「魚がし」の奉納品には、このマークを付けるでしょう。
(招木(まねき)看板の魚がし)
(のれんの魚がし)
「魚がし」とは、魚の揚がる川岸(かわぎし)という意味で、それが日本橋だったわけです。
そこから築地へ移転してきたので、「魚がし」と言えるのは今は「築地」だけなのです。
ですから、本来このマークは「魚」を扱っている所のマークではなく「魚河岸」の人たちが自分たちの所在を表す”しるし”なのです。
ある意味で築地の「日の丸」みたいな存在だと思っています。
ではなぜ、このマークを「魚がし」と読むのでしょうか?
ちなみに、我々の業界では「丸魚がし」(まるうおがし)とか、「魚がし丸」と言います。
「魚」は読めますね。左の ”の” の字の上に ”一” その横に ”、、(てんてん)” がついています。これは、”一” と ”の” で 「可」 という字のくずし字で 「か」 になるわけです。そしてその横に濁点が付くと、、、、、。「が」になります。廻りの丸く書かれているのは 「し」 なので「魚がし」と読めるわけです。
他にも「志ん橋」丸や「日本橋」丸などがあり、○の中に書き込み”意気”を表していたのでしょう。
判じ物みたいに思われるでしょうが、変体仮名と言って、蕎麦屋さんの のれんに「む”」みたいな字がありますね。これは「者」の変体仮名で「は」と読むので「生蕎者”」=「きそば」と読みます。また、うなぎ屋さんの のれんも 「う ふ ぎ」 に読めませんか?。これも「奈」=「な」の字でちゃんと「うなぎ」になっています。
話が脱線してしまいましたが、他にも「河岸」が付く場所があります。
「大根河岸」は今の京橋あたりにありました。「竹河岸」はその少し東側。
「鎌倉河岸」「浜町河岸」は有名です。
築地も、現在の六丁目~七丁目の隅田川沿いあたりにかけて、「小田原河岸」「南飯田河岸」と呼ばれていた時期もあったそうです。
また、同じ機能を持っていながら、「河岸」は町人、「物揚場」は武家という呼び方の区別もあったそうです。
面白いですね。
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