「講中」 こうちゅう or こうじゅう?
お伊勢参りが有名ですが、魚河岸の旦那衆もそれはそれは熱心で、浅草の観音様や川崎大師、成田山などで「魚がし」と書かれた、大きい提燈を見た事があるでしょう。
歴史的には、江戸中期以降、街道も整備され「東海道中膝栗毛」でお馴染みの旅行記や「東海道五十三次」などの浮世絵も続々出版されて、色々な形で地方にもその文化が伝播して今日まで続いている訳です。 奉納品も様々です。
小田原 道了尊 (火消連中奉納の千社額)
多分、紙だと燃えてしまうので、金属製にしたという火消し達の信仰心からなのでしょう。
誰もが知っている有名な所ばかりではなく、特に地方には、江戸の火消し達が火伏せにご利益のある寺社に「講」を組んで、毎年のようにお参りに行っておりました。大山参りもそのひとつです。 そして、金一封は勿論、色々な物を奉納しておりました。
栃木県 古峯(ふるみね)神社にて
玉垣なども”魚河岸””何某”という形で奉納されている寺社に沢山出会います。
昨今、皆でお参りに行くという「講中」もだんだん少なくなりつつあります。
かくいう小生も、先日最後までお世話になっていた 「講」 をやめました。色々思案しましたが、なかなか都合がつかなかったり、講元さん、講員さんにもご迷惑をおかけして、祖父の代からお世話になりっぱなしでしたが、決めさせていただきました。
しかし、このような文化は何だか日本人の琴線にふれ、心の奥底にある信仰心をかきたててくれるような気がします。
これからは、個人的に色々な寺社巡りをして行きたいと思います。魚河岸関係の諸講については、またの機会に書かせていただきます。
築地市場発の豊川稲荷に行く団体列車まであったんですよ。
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